KAMAKURA HISTORY
環境:LAND
2024.03.12

北鎌倉探訪記 [歴史編]

プロローグ:


美しい里山の風景に、
古都の趣を感じる。
北鎌倉の歴史を紐解く探訪記。

INDEX
目次

01.歴史ある古寺の趣と自然の豊かさが共存するまち「北鎌倉」

古都鎌倉の玄関口である北鎌倉は、豊かな自然環境の中に古寺が点在する歴史情緒漂うまち。
木造の小さな駅舎を出ると、清々しい山の空気に包まれたのどかな風景が広がります。

駅のそばには円覚寺、少し南へ進むと建長寺が建ち、向かう道すがらふと路地に入ると緑のトンネルや季節の草花が咲く、どこか大人心をくすぐる静かな散歩道に出会えます。

寺院とは反対側の駅前を通る鎌倉街道は、鶴岡八幡宮に続くメインストリート。源頼朝の命で開かれたこの街道は、鎌倉へ年貢などの物資を運ぶための重要な道路として発展しました。現在は公共のバスが通る幹線道路ですが、街道沿いは古くからの商店や趣のある店舗が建ち並び、都会の喧騒を忘れさせてくれる落ち着いた雰囲気が漂います。

02.住人の手で守られてきた自然環境

遠い昔周囲を山に囲まれ天然の要塞と呼ばれた北鎌倉には今もなお、豊かな自然風景が広がります。初夏、住宅地に流れる川では、蛍が見られることも。まちに溶けこむそれらの自然は、住む人の手によって粘り強く守られてきた、このまちの財産です。

昭和35年ごろから大規模な宅地造成が始まった鎌倉では、山が削られ、円覚寺の裏山を含む多くの自然が奪われた過去があります。鶴岡八幡宮の裏手まで開発の手が伸びたとき、開発に危機を感じた大勢の住民たちが、古都を守ろうと立ち上がり署名運動を始めました。僧侶や学生を含む住民がブルドーザーの前に立ちはだかり、まちのために一体となって反対運動を行なったようです。2万を超える署名を集めた結果、開発は中止され市民によって設立された団体が残地を買収することで運動は終わりました。

「自然を未来に残したい」住民たちの強い思いが、自然と調和するまちの豊かな景観を守っているのです。

03.時を超えて親しまれる円覚寺

円覚寺が創建されたのは、鎌倉時代後半の弘安5年(1282年)。ときの執権・北条時宗が、元寇(文永・弘安の役)で亡くなった両軍の兵士を弔うとともに、自身の精神を支えた禅の教えを人々に広めるため、中国の無学祖元禅師を招いて建立しました。

創建以来、円覚寺は幕府や朝廷から篤い信仰をうけ、鎌倉幕府が滅亡したあとも後醍醐天皇によって保護され繁栄。総門の手前にある参道の両脇には、左右対称の池が広がり、桜や紅葉が季節ごとに違った彩りで、参拝する人たちを迎え入れています。言い伝えによると、時宗が寺を建立するのにふさわしい場所を探していたとき、鶴岡八幡宮の八幡神がシラサギとなって、この池へ導いたのだそう。この伝承にちなんで、池には「白鷺池(びゃくろち)」という名がつけられました。

荘厳な雰囲気を醸しだす三門(山門)は、夏目漱石の小説『門』などの文学作品の舞台となっていることでも有名です。大正12年(1923年)の関東大震災では、仏殿をはじめほとんどのお堂が倒壊しましたが、寺の中で唯一残った象徴的な建物です。

円覚寺は、度重なる災害などにより存亡の危機に直面しながらも、その度に時代の権力者や僧侶たちによって再建されてきました。「この場所を残したい」 受け継がれ続ける人々の思いの力を感じます。

04.四季の移ろいを楽しむ古都の暮らし

葉の色づきに季節の移り変わりを感じたり、木々の木漏れ日に癒される。忙しい日常の中で忘れてしまいがちな、自然の豊かさに気づかせてくれる。そんな北鎌倉は多くの文人や芸術家に愛され、これまでさまざまな作品の舞台となりました。四季の移ろいを感じながら豊かな時間を過ごす、心地よい暮らしがここにあります。

WRITER
TAYUTAU 編集部
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